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淀駅周辺を歩く、歴史発見コースマップ

[A] 與杼神社よどじんじゃ

淀・納所(のうそ)・水垂(みずだれ)・大下津の産土(うぶすな)神として、以前は桂川の対岸(大下津)に祀られていましたが、桂川改修工事にともない1900年に現在地に遷座されました。 祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)ほか二柱で、拝殿は重要文化財に指定されています。毎年11月に行われる例祭は、「淀祭」とも呼ばれ、多くの人々で賑います。

[B] 稲葉神社いなばじんじゃ

徳川家光の乳母・春日局の夫であり、淀藩稲葉家の祖である稲葉正成を祭神とする神社です。

[C] 淀城蹟公園よどじょうあとこうえん

徳川秀忠が松平定綱に木津川、宇治川、桂川が合流する当地に築城を命じ、1623年に竣工。廃城となった伏見城の資材や二条城の天守を移築し、約3年をかけ完成しました。 豊富な川の水を活用した美しい「浮城」として、船旅の名所に数えられていたようです。永井尚政や松平家など諸大名が城主となった後、1723年に稲葉正知が城主となり、明治維新まで稲葉家の居城となりました。 1756年には、落雷により天守閣が焼失。明治維新で廃城となり、その後公園になりました。

[D] 淀川瀬水車旧趾よどのかわせのみずぐるまきゅうし

淀には昔から水車が設けられ、淀の川瀬の水車と詠われました。江戸時代の淀城には2ケ所の大水車(直径約8m)があり、城内の庭園に川水を汲み上げていたそうです。

[F] 唐人雁木旧趾とうじんがんぎきゅうし

「唐人」とは、江戸時代将軍の代替わりや慶事の際、朝鮮王から祝賀のため派遣された朝鮮通信使のことです。ここは通信使が上陸した船着場の階段があった所とされ、 その形が雁の列に似ていることから、雁木という名で呼ばれていました。当時は釜山から海路で大坂へ、その後川船で淀川を遡り淀で上陸し、京経由で江戸へ向かいました。

[G] 妙教寺 みょうきょうじ

豊臣秀吉の側室・淀殿が鶴松を出産した淀古城跡地と推定されています。寺の南側にある水路は淀古城の堀跡とされ、周辺には「北城堀」など城に関する地名が残ります。 1868年の鳥羽・伏見の戦いで激戦地となり、本堂を支える本丸柱には砲弾の貫通跡が残っています。

[H] 淀小橋旧趾よどこばしきゅうし

淀城はかつて三川の合流地点にあり、城の北側・宇治川には「淀小橋」、南側・木津川には「淀大橋」がかけられ、城下への入口となっていました。